まさか小学1年生で不登校になるなんて…
そんなまさかのことが起こった我が家。
約6ケ月不登校だった長男が今では元気に登校しています。
不登校が学校に行けるようになるまでの体験談を当記事で紹介しています。
突然の「学校に行きたくない…」
突然長男が「ママ、学校に行きたくない」と、言ってきた朝。
小学生になり新しい生活、新しい環境、新しい友達、慣れないことばかりで月曜日に休みたいということは多々あり、月曜日に休むことは何度かありました。
私自身も新しい環境に身を置いた時は始めは体も心も慣れず休息が必要だった為、新しい刺激にまだ慣れていないんだと判断していて、実際休みは月曜日だけで、次の日は登校できていました。
しかしこの時の長男の顔はいつもと違いました。
この時のことは今でも鮮明に覚えています。
「何かあった?」
『ううん、行きたくない…』
明らかにいつもの長男と違ったので、お休みすることに。
そして翌日も翌々日も…
不登校の間は保護者としても心配と不安で押しつぶされそうになる。
そんな日々でした。
今この記事を読んでいるあなたもきっと同じ気持ちなのではないでしょうか。
何をしてあげたらいい?なんて声をかけてあげたらいい?
私はひたすら待ちました。
長男はいつも走り回っているような活発で大人しい感じではなく、公園で遊ぶのが大好きな男の子です。
なのでこの時、私は深刻さと共に数日休んだら登校できるだろうと感じていました。
しかし中々長男の顔は晴れず約6か月も不登校になるとは思いもしませんでした。
不登校の初期期間
長男が学校に行きたくないと言い始めた初期は、本当に今までの明るい顔と違い暗くなっていました。
「これは深刻だ」と判断し、長男が前向きな気持ちになるまで休ませてあげようと思いました。
行きたくない理由は友達関係にあり、そのことも先生に伝えました。
先生はとても優しい方で、友達関係のことに対して色々してくださり、改善してくれました。
改善ができると先生が家に来て迎えにきてくれるようになり、数時間だけ行っていましたが、やはり心は晴れず…
先生は少しでも来れるようにと対応してくれましたが、毎朝長男の顔は晴れず行きたくないと言うので、先生に「少しの間休ませることにします」と伝え、毎朝【学校に行かなければいけない】ということをなくしました。
まずは心のケアが必要だと感じたんです。
いつも明るい長男がこんな顔するなんてと、とにかく心のケアが必要だ!と休ませることを優先しました。
初期期間は私自身も心配と不安で押しつぶされそうでした。
これまでの育て方が間違っていたのかと自分を責めることもあり、周りからも責められてるように感じたり後悔と反省で心は沈む時もありました。
しかしこれではダメだ、私が笑ってないと!こうなってしまった以上、後悔していることがあれば今改善すればいい!と前向きに長男への接し方を変え、夫にも長男への接し方を変えてほしいと説得しました。(スクールカウンセラーの方に、『長男にだけ厳しくなってしまうお父さんは少なくないんですよ』と言われました。まさに、うちの夫のことです。)私も夫もこれらの反省をし、長男への接し方を改めて見直し、改善しました。
初期期間の日中はとにかく何も言わず、長男がやりたいことをやらせていました。
ゲーム・YouTubeも好きなだけ。それでもゲームやYouTubeを見ている時でもどこか悲しそうに見えました。
不登校の中期期間
それからは、私も学校という言葉は出さず、過ごしていました。
朝起きて、朝ごはんを食べてそのまま当たり前のようにお家で過ごす。
そんな日々が続いていました。
しかし学校に行ってほしいという私自身の心配や不安そして焦りはありました。
そんな気持ちからは何もいいことは生まれず、長男を責めてしまいたくなる気持ちが生まれてきました。
これはダメだ!と思い、そんな気持ちを封印するかのように、もう学校行かなくていいよ。フリースクールだってあるし、私も早く起きなくていいラッキー‼とそう考えていました。
(次男の出発に合わせて起きてました(笑)それくらい気楽にならないと気持ちが持たなかった。)
大丈夫、大丈夫!ととにかく前向きな気持ちでそのような心配や不安な気持ちを封印し子どもと接していました。
勉強も私が教えることもできるし、焦ることはない!
(高校生で不登校になったら、教えられるかな?むしろ小1で経験しといてよかったじゃん!くらいの気楽さ。洗濯物を干しながらいつも自分に言い聞かせていました。)
そんな日常に慣れてくる頃、段々と顔が明るくなってきて、ここでようやく私も安心できるようになってきます。
この頃から、ちょっとだけ学校いこっか!?と声かけをしていくようになりました。
行ける時は送り迎えをして過ごす日々、保健室登校の日もあれば教室に行ける日。
毎日ではなかったですが、少しずつ行ける時間が増えていきました。
しかし1年生から2年生へ。
冬休みを挟み、先生も変わり、クラスメイトも変わるというまた新たな環境への変化!!
どうなる!?長男!!!
不登校になったきっかけは友達関係だったので、この時家でよく遊んでいたのは【ぬいぐるみごっこ】です。息子2人は、ぬいぐるみごっこが大好きなので、ぬいぐるみ遊びを通して、友達関係を学ぶというか友達との接し方などを間接的に伝えるようにしました。
ゲームやYouTubeは顔が晴れてきたころから少しずつ制限をしていくようにしました。
ゲーム・YouTube以外の時間は一緒にプリントをしたり、料理を手伝ってもらったり、お絵描きしたり、少し退屈な時間を過ごしたりしていました。
学校へ行ったほうが楽しいにシフトさせていこうと敢えて退屈な時間は作っていました。
しかしまだ完全に心の傷はいえないのか、学校から帰ってきた時晴れない顔をしていることもあり、無理には行かせないようにしていました。
先生も1時間だけでもいいからと言ってくださっていて、少しずつ学校にいる時間を延ばしていきました。
不登校の後期期間
1年生から2年生へ進学です。
新しい教室、新しい先生、新しいクラスメイト、吉と出るか凶とでるか…
幸い大好きなお友達と同じクラスになり、長男は嬉しそうでした。
1年生の時に先生と何度か話している中で、その子の名前も出していたのでもしかしたら意図的に同じクラスにしてくれたのかな?とも思いました。(ありがたい~‼)
2年生になり、大好きなお友達と同じクラスということから長男はかなり前向きな気持ちになり、週に3回、4回、そして夏休み直前でやっと5回と少しずつですが登校できるようになりました!
2年生の夏休みが始まる前までは、毎朝一緒に登校していました。
皆が登校する時間ではなく、時間を少しずらし、1限目が始まる前に到着できるように出発し、送ってもらってる姿を見られないように配慮していました。
ですが、ここでまた長い夏休みの始まりです…
やっと週5日行けるようになったのに、夏休み明け大丈夫だろうかとすごく不安でした。
夏休みもいつもどおりの時間に寝て起きる、そして宿題は8月の登校日までを終わらせることを目標に夏休みを過ごし、自由研究の作品を持っていく楽しみも持てるように長男が作りたいといったピンボールも一緒に作りました。
夏休み中にある登校日は、頑張って仕上げた宿題を持っていくという楽しみ
夏休み明けは、自由研究を持っていく楽しみを抱かせることができ、登校日も夏休み明けも難なく登校することが出来ました。
さらに夏休み明けは、私と一緒に登校するのを辞め、みんなと一緒に行くと言い出し、夏休み明けからは朝から元気よく登校できるようになりました。
後期期間は週に何日か行けるようになり、学校から帰ってきたときに笑顔も見られるようになってきました。
友達関係のことについても長男は話してくれていたので、アドバイスしたい気持ちをグッと抑え、とにかく何も言わずに共感することに徹していました。「そうなんだね~それは楽しくなかったねー」ととにかく反復していました。他にしていたことと言えば、「今日は何時間学校に行けたね!」と頑張って行ったことに対して伝えていました。学校に行けるようになった今でも「今日もお疲れさま~‼」「今週もよく頑張りましたっ‼(拍手)」と伝えています。
不登校期間の勉強について
長男が学校に行きたくないと言い始め、中期期間に入るまでは本当に気を使いました。
なんて声をかけてあげたらいいんだろう、なにをしてあげたらいいんだろう。
とにかく私ができるのは、側にいて笑顔で楽しく過ごすことだけだったのでそのことに徹しました。
しかし不安と焦りから負の感情が出てきて元気に過ごせない日もあり、一緒にダラダラ過ごす日もありました。
そして宿題については、不登校中でも宿題やプリントを取りに行っていましたが、無理にさせませんでした。
暇つぶしにちょっとやってみよっかぐらいで、先生にも『今は勉強よりも心のケアを優先したいので、宿題の提出はできた時だけにします』と伝えていました。
週に何度か登校できるようになった時も、『今は登校することを優先したいので、宿題の提出はできた時だけ提出します。』と伝え、勉強、宿題については口出ししないようにしました。
長男は勉強が好き!というタイプではなく、宿題めんどくさいというタイプだったので、まずは登校することに集中しました。
しかし親としては勉強が遅れてしまうことが心配で、夏休み明けには、遅れがでないようにするため、夏休み期間中に宿題以外にプリントを作成したり、市販のドリルを買って一緒にしたりと楽しく勉強ができるようにし、遅れは無事に取り戻しました。
不登校期間の仕事について
仕事はどうしていたかというと、全くできませんでした!
夫婦二人で生活費は出していたので、私は貯金を使いながら生活していました。
しかし不登校中は昼ご飯も作らないといけないし色々お金もかかってしまう。
コツコツ貯めていた投資金を崩したりもしました。
が、お金がなく焦る気持ちがなかったわけではないです‼めっちゃ不安でした‼
しかしそんな気持ちを抱きながら長男と接するわけにはいかず、大丈夫!!どうにかなるさ!!の精神で不安な気持ちに蓋をして過ごしてました(笑)
今私が1番優先することはなに!?と常に自分に問いかけていました。
焦りと不安で長男を追い詰めてしまったらダメだと!常に言い聞かせていました。
しかし貯金額がどんどん減ってくると残高を見るのもすごくストレスでした。もはや恐怖でしたね。
不登校期間の兄弟について
長男が学校を休んでいると、休みたいという次男。
あなたは行きなさーい!!と強く言えるわけなく、始めは理由を話して次男も納得して行っていましたが、段々長男と一緒に遊びたい!と言うようになり、休むことが増えていきました。
先生には長男が不登校になり、それで次男も一緒に休みたいとのこで…と伝えました。
長男が明るさを取り戻していったのは、次男のおかげでもあると思います。
何も考えず次男と楽しく遊べる時間、それが長男の癒しになったのだと思います。
今でも長男は次男のことが大好きです。次男と話すと元気になるとこの前ふと言っていて、喧嘩ばかりする二人ですがとても微笑ましかったです。
不登校期間中の習い事について
長男は塾とスイミングを習っていましたが、習い事にも行けなくなりました。
なのでどちらも1,2カ月様子を見ましたが、行く気持ちになれなかったみたいで辞めてしまいました。
また行きたくなったらまた始めたらいいと思っています。
不登校期間の学校との繋がり
不登校期間中は毎日先生が長男の様子を聞きに電話をしてきてくださいました。
プリントや宿題はについては初めの2,3日は近所のお友達が持って来てくれていたのですが、それは断り取りに行くことにして、2日に1回程度で長男と一緒に放課後に学校に行き、プリント・宿題を取りに行っていました。
その時に先生に学校の様子などを聞いたりして、学校との繋がりはありました。
担任じゃない先生に一度『お母さん、心配しすぎ!子供は学校に来たらその後は大丈夫!』と言われました。
その時私は素直にそうですねと思えませんでした。
明らかにいつもの長男の顔と違っていたから、息子のことは私が一番見てきている!という思いから、その言葉はズーンと心にのしかかりましたが、スルーしました。(きっと先生も心配しすぎている私のことを気遣ってくれての言葉だと今では思いますが、その時はなんだかすごくその言葉が重く感じました。)
恐らくこの時私はすごく長男のことを心配していて、付きっ切り状態だったので、過保護だと思われていたと思います。
先生からしたら、もしかしたらこういうことはよくあることで、そのようにして登校できるケースもあるかもしれない。
私は長男をしっかりと見て、長男のペースで、長男に楽しく学校に行ってもらいたいと強く思いました。
登校できるようになった今
今は毎日元気に学校に通っていますが、今でも不登校中に私と夫が反省したことは、心がけていて、家でも楽しく過ごせるように日々を心がけています。
私も夫も育児については日々勉強中で、今回のことで長男にはとても勉強させてもらったなと感じています。
あの時こう伝えたほうがよかったかな?あの時こうしておけばよかったかな?
寝る前に色々と頭の中を駆け回ります。
今回のことで私が感じたことは、小学1年生は初めて大人の目から離れる時間ができる時。
幼稚園や保育園では常に先生が近くにいたと思います。
しかし小学生になって、登校・下校そして休み時間など大人がいない時間が急にできる時です。
子どもからしたら立派な自立の第1歩。新しい生活に新しい環境。いきなりのステップアップ‼
戸惑いや不安、そして環境の変化からのストレスも少なからず感じている。
それをカバーするのが親の役目なのに、カバーができていなかったのかもしれないと感じました。
小学1年生はもっとも親が見守る姿勢を強くしなけらばならない時だった!と気づいたのです。
登校するようになった今も、息子たちの様子をしっかり見てサポートし変化を逃さないようにしようと心がけています。
この記事は、今不登校のお子さまがいて私と同じように悩んだりしている方に届けばいいなと思い書きました。
不登校から学校に行けるようになった例を見ると少しでも安心できますよね。私もそうでした。
そして実の母に相談していて、「大丈夫よ!今はあなたが心の支えだからね。」と励ましてもらいました。
もし今悩んでいて涙を流してる方がいれば、相談できる方がいれば相談してくださいね。そしてこの記事が少しでも大丈夫!と思える要素になればいいなと思います。最後までありがとうございました。

